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9月30日(土)またもや日帰り上京強行・・・
今回のお目当ては「茂田井武展」(ちひろ美術館)です。


新宿でおち合った友Kさんに
昼食とるため
連れて行ってもらったお店がすごく粋でね。
後であらためてふれまする・・・

その壱・・・

東京のちひろ美術館
9月27日(水)より開催されている
茂田井武展」を堪能すること・・・


茂田井武展 

−お父さんの絵−

2006年9月27日(水)〜11月26日(日)


ちひろ美術館・東京


img20061002.jpg


無限なるおどろきとよろこびの必要、子供のために
         
                                          (茂田井武 1947年)



戦中から戦後の混乱期に、
童画家として活躍した茂田井武。

詩情にあふれたその作品は、
子どもたちを魅了し、
現在まで多くの画家たちに
影響を与えてきました。

ちひろ美術館では、
1997年以後ご遺族より
800点に及ぶ茂田井武作品や
資料の寄託を受け、
作品の保存に努めるとともに、
折々に作品を展示、
その業績を紹介してきました。

没後50年を機に開催する本展では、
画家であり、
父親でもあった茂田井武が、
子どもたちへの愛情を込め、
童心を羽ばたかせて描いた作品の数々を、
日記などの資料とあわせて展示します。

ちひろ美術館 案内より



茂田井武 
MOTAI KAKESHI
(1908〜1956)

東京日本橋の大きな旅館に生まれるが震災で崩壊。

中学卒業後、太平洋画会研究所、
川端画学校などで絵を学び、アテネ・フランセに通う。

30年シベリア鉄道で渡欧、33年に帰国。

職を転々とした後、成人雑誌の挿絵を描く。

46年日本童画会入会。

戦後日本の復興期に絵本、絵雑誌の仕事で活躍。

54年小学館児童出版文化賞受賞。

48歳で亡くなるまで病床で絵を描き続けた。




主な出品作品



〈父と子の時間〉

「ヘンゼルとグレエテル」(1946)

「小サイ青イカサカサ(自宅庭)」(1946)

「よっぱらい博士と貝がら」(1950)

「koyomiの顔」(1950)

手づくりの絵本「巴里の子供」(1946)

「アサノドウブツエン」(1947)

日記などの資料



〈お父さんの小さいとき〉

「我ハ野ノ鳥」(1946)

「駄菓子屋」(1947)

折本「幼年画集」(1946)

絵物語「宝船」(1939)



〈子どもたちへ〉

児童雑誌・童話集・絵本などに発表された作品

児童雑誌「こども雑誌」(白鳥書院)より 

絵物語「星の輪」(1947)

絵雑誌「キンダーブック」(フレーベル館)より 

 「すてんどぐらす」(1954)

  「えいほっほ」(1954)

  「かそうぎょうれつ」(1955)

  「とりよせのおじいさん」(1956)

  「こんやはよみや」(1956)

単行本「グリム童話選」(岩波書店1951ー52)

     「月夜とめがね」(新潮社1954)

    「ジャータカ物語」(岩波書店1956)

絵本「セロひきのゴーシュ」(福音館書店1956)



他  計 約100点


改装前のちひろ美術館を、1999年に訪ね、
迷路のように入り組んだ会場の中で目にした茂田井さんの作品の数々。

当時は知る由もなかったのだけれど、その時、広松由希子さん
学芸部長として、展示に深く関わっていたのですね・・・。




あの日目に焼き付けた
その記憶をあらためて思い起こしながら、
一枚一枚の作品や資料をみつめました。

タブロー画家ではない。
 卑下しようとすまいと版下画工だ


茂田井さんは、自身をそう言い切り、
団体公募展の類には、一度たりとも出品しませんでした。

子どもの正直さで
 おとなのいつわり多い生き方を
 おさえこんでいかなければならぬ


子どもの気持ちは  
 おとなに絶対わからない


そう言って、子どもという存在を尊敬していた茂田井さん。

晩年、我が子ばかりでなく、
多くの子どもたちを慈しむ思いを胸に抱き、
こころ砕いて絵を描いたひとでした。


臨終に居合わせたある方の手記によると、
画用紙や消しゴム、ペン、すずりに筆などが、枕元にあったそうです。

きっと腹ばいになったまま、下書きの鉛筆を走らせたのでしょう・・・と。


また、別のかけつけた方の手記には、
茂田井さんのほおには、
いく筋も涙の跡が残っていたと記されていたそうです。


記された著書の中で拝見し、広松さんご本人からも伺って知った、
胸が締めつけられるようなエピソード・・・



img20061003_1.jpg   img20061003_2.jpg


命を削るようにして、童画を描き、逝ってしまった茂田井武さん・・・

お父さんとしての、その思いにふれ、
この世に生を受け、今こうして命あること、
思い注ぐ家族との暮らしを、紡げるありがたさというものを
あらためてかみしめています。

この生業と活動の根っこに、茂田井さんが
おまもりのようにあることを確かめ、自分の中に重くおきました。

茂田井武というひとと、その作品の魅力を、
大事に伝えていきたい思いをさらに強く持ちました。

まだ、この展示は始まったばかり。
多くの方に味わって欲しいです。

お父さんの絵に、ぜひ会いに行ってみて下さい。


img20061002_1.jpg

ちひろ美術館・東京

〒177-0042
東京都練馬区下石神井4-7-2

TEL:03-3995-0772

FAX:03-3995-0680


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アナログ・ローテク・規模最小の無店舗書店。数冊絵本を小脇に抱え細々行商しています。

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Pooh&Pea(ぷぅあんどぴぃ)は、愛娘ふたりの幼い頃のニックネーム。「こどもたちからもらった広がる世界」の思いを込めて店の名前に決めました。

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